陸上ハードルでパリオリンピックに滑り込み内定した田中佑美選手はかつて宝塚を目指していましたが受験を目前に受験辞退することになりました。そもそも、陸上部に入ったのはバレエと両立するため活動の少ないゆるい部活を選んだことが理由でした。詳しい経緯をまとめました。
田中佑美は宝塚受験をしていない!
宝塚に入ることが子供のころからの夢
172㎝の長身でモデルとしても活躍する田中佑美選手(25)の幼いころからの夢は宝塚歌劇団に入ることでした。
高校の陸上部に入る段階から顧問の先生に、
「私は宝塚に入りたいので高2で宝塚音楽学校を受験します、だから辞めます」って言っていたそうです。
ところが、田中佑美選手はハードルでめきめきと頭角を現し、高校ではインターハイ2連覇。
世界ユース選手権やU20世界選手権にも出場しました。
母の一言で受験を辞めることを決意
ハードラーとしてのキャリアを駆け上がる中で、18歳で最後の宝塚受験の機会を迎えたとき
田中選手は取り寄せた受験票を前に葛藤したそうです。
母が迷っている田中選手を見て『それくらいの気持ちならもうやめたら?』と言ったそうです。
後日、家族会議を開いて、受験を諦めることになったそうです。
宝塚の夢あきらめ手にした世陸への切符 女子100mハードル代表・ #田中佑美「戦って選ばれたレース、精一杯楽しむ」
— TBS 陸上 (@athleteboo) August 18, 2023
【#世界陸上】 https://t.co/TMhOPvRtQx
陸上を始めたのは偶然だった!
陸上部を選んだのは活動日数が少なかったから
田中選手の通う関西大学第一中学校では部活動の入部が必須だったそうで、
タカラジェンヌを夢見て4歳から続けていたバレエと両立するために週2回しか活動がない陸上部を選んだそうです。
当時の陸上部は地区大会を突破したことのない弱小のゆるい部活だったそうです。
バレエで培った柔軟性がジャンプ力の糧に
ところが、ハードルを始めるとバレエで培った柔軟性を活かしハードルの才能が開花します。
中学2年生のときに大阪中学体育連盟の強化選手に選ばれました。
そして中3の時に、全日本中学選手権、ジュニアオリンピックに出場しました。
結局、ハードルの道にのめりこんで夢が宝塚から陸上にかわった田中佑美選手、オリンピック出場も内定しました。
オリンピックでの田中選手の伸びやかなジャンプが楽しみですね。
コメント