詩人の谷川俊太郎さんが老衰のため92歳で亡くなりました。
谷川俊太郎さんの詩や絵本は小学校の教科書に載っていたり誰もが一度は読んだことがあると思います。
谷川さん、実は3度の離婚経験がありました。
この記事では
・谷川俊太郎の家族構成
・谷川俊太郎の結婚と離婚
・谷川俊太郎の子供
・谷川俊太郎の両親
について書いていきます。
谷川俊太郎のプロフィール
引用元:NHK NEWS
・名 前: 谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう)
・生年月日: 1931年12月15日
・享 年: 2024年11月13日(92歳)
・出身地 : 東京府(現:東京都)
・職 業: 詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家
・代表作 : 『二十億光年の孤独』、『スイミー』『あしながおじさん』(翻訳)
谷川俊太郎の家族構成
谷川俊太郎さんは3度結婚、離婚をしています。
谷川さんには3人の妻、2人の子供がいます。
谷川俊太郎の3度の結婚・離婚
谷川俊太郎さんは3回結婚し、3回離婚をしていました。
3人の奥さんと結婚期間は次の通りです。
1度目の結婚(1954年 – 1955年)
1度目の結婚相手は岸田衿子(きしだ えりこ)さんです。
1954年、谷川さんが23歳の時に結婚しわずか1年で離婚しました。
引用元:https://ameblo.jp/tombo0131
岸田衿子さんは詩人、童話作家、翻訳家で谷川さんとは同人誌「櫂」の仲間だったそうで、谷川さんより2つ歳上でした。
2人は家が近所で幼なじみだったそうです。
なんと衿子さんの妹は女優の岸田今日子さんです。
引用元:NHKアーカイブ
2度目の結婚(1957年 – 1989年)
2度目の結婚相手は大久保知子(おおくぼ ともこ)さんです。
引用元:https://ameblo.jp/tombo0131
大久保さんは新劇女優で、谷川さんが劇関係の仕事をしていた縁で知り合いました。
1957年、谷川さんが27歳の時に結婚し、2人の子供をもうけました。
1979年、谷川さん48歳のとき、母親の多喜子さんが植物状態となり、介護の問題で夫婦不和になり
谷川さんの父親徹三が亡くなった後、1989年に離婚しました。
3度目の結婚(1990年 – 1996年)
3度目の結婚相手は佐野洋子(さの ようこ)さんです。
引用元:https://ameblo.jp/tombo0131
佐野洋子さんは絵本「100万回生きたネコ」の作者です。
1990年、谷川さん59歳、佐野さん52歳の時に2人は結婚しました。
2人は1984年頃、自動車免許の更新の際偶然会って以後交際がスタートしたということです。
谷川さんはそのころ、母親の介護のことで前の奥さんと上手くいかず、
仕事場としてマンションを借り奥さんとは別居状態だったようです。
佐野さんと谷川さんはギリシャへの浮気旅行を経て再婚しましたが、結婚生活は6年しか続きませんでした。
佐野さんは谷川さんのことを
言葉だけで生きて、人と交わらない人…
と言っています。
谷川さんは結婚には向いていないのかもしれません。
しかし、谷川俊太郎さん自身は一人っ子として育ったので大家族に憧れを抱いていたと語っています。
彼自身の家族観や結婚生活についても詩やインタビューで触れられており、家族が彼の詩作に与える影響についても言及されています。
谷川さんは自身の家族について「家庭が大事だ」と公言していて、詩人としての活動と並行して家庭生活を重視してきたようです。
谷川俊太郎の子供
谷川俊太郎さんには2番目の奥さんとの間に2人の子供がいます。
息子さんと娘さんが1人ずついます。
谷川俊太郎さんが29歳の時長男の賢作さんが生まれ、32歳の時に長女の志野さんが生まれました。
長男、谷川賢作さんは作曲家、編曲家、ピアニストとして活動しています。
引用元:ニッポン放送
谷川俊太郎さんは息子の賢作さんと一緒にコンサートを数多く行っていました。
谷川俊太郎の両親がすごい
谷川俊太郎さんはお坊ちゃまでした。
父親の谷川徹三さんは哲学者で法政大学の総長でした。
母親の多喜子さんの父は京都府選出の代議士で奈良電鉄など多くの会社を経営する地元の名士でした。
多喜子さんは同志社女学校専門学部(同志社女子大の前身)の英文科を出ています。
明治の時代に大学を出ているなんてお嬢様ですね。
引用元:CREA
谷川さんは一人っ子でした。
父親の徹三さんも母親の多喜子さんも子供はいらないと考えていたそうで結婚8年目に多喜子さんが妊娠した時、
俊太郎さんは危うく堕されるところでしたが、多喜子さんの父が孫を欲しがったため生まれたそうです。
しかし、子供が生まれると多喜子さんは俊太郎さんにメロメロでとてもかわいがったそうです。
谷川俊太郎の家族構成のまとめ
・谷川俊太郎は3度の結婚・離婚歴あり
・子供は息子の谷川賢作と娘の志野
・父親徹三は哲学者で法政大学総長、母多喜子は名士の娘
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